TOP 特集 ローマ教皇の来日で【一枚の写真】が脚光を浴びた!『トランクの中の日本』
ローマ教皇の来日で【一枚の写真】が脚光を浴びた!『トランクの中の日本』

ローマ教皇の来日で【一枚の写真】が脚光を浴びた!『トランクの中の日本』

ローマ教皇の来日で【一枚の写真】が脚光を浴びた!『トランクの中の日本』

元米従軍カメラマンが原爆投下後の惨状を〝非公式に撮影〟 50年間トランクに封印されたまま公開されなかった真実の記録

2017年末、カトリック教会が定める「世界平和の日」(1月1日)に向けて、ローマ教皇・フランシスコが「焼き場に立つ少年」の写真をカードに印刷し、全世界に配布するよう指示したとして、話題になりました。カードには「亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。少年の悲しみは、かみしめて血のにじんだ唇に表れている」という説明も加えられている。

今回の教皇訪日をきっかけに、この一枚の写真が改めて脚光を浴び、同写真を収録した写真集『トランクの中の日本』が売れ行きを伸ばしています。

本書に収められた57点の写真は、J・オダネル氏が広島・長崎の惨状を非公式に私用カメラで撮影したものです。戦争のいまわしい記憶とともに、トランクの中に封印されたまま、戦後50年間公開されなかった真実の記録がここに!

「苦痛に耐えて生きようと懸命な被災者たちと出会い、無残な瓦礫と化した被爆地にレンズを向けているうちに、それまで敵としてとらえていた日本人のイメージがぐらぐらとくずれていくのを感じたのです。日本を去るとき、ネガにも私の心にも戦中戦後の日本の悪夢が焼き付けられていました。そのあまりの強烈さにたじろいだ私は、帰国後、そのすでてを忘れようと決心したのです。私用カメラで撮影したネガはトランクに納め、二度と再び開けまいと、蓋を閉じ鍵をかけたのです。

しかし、心に焼き付いた辛いイメージの数々は、打ち消そうとして消え去るものではありませんでした。戦後二〇年間ホワイハウス付きカメラマンとして働いたのち体調をくずした私は退職し、ひどい痛みとたたかい、入退院を繰り返す年月をすごすことになりました。かなり時がたってから、このときの症状はカメラ片手に広島、長崎をさまよい、放射能を浴びたのが原因だったと診断されたのです。数え切れないほどの手術や治療のおかげで身体は楽になりましたが、意識に焼き付いたイメージは薄れるどころか一層鮮明さを増して私を苦しめました。

そしてついに私は、もう逃げるのはよそう、自分の気持ちに正直になろうと思うようになったのです。私はトランクの鍵を開けました。過去の悲劇を繰り返さないためにも、この本の伝える事実を忘れ去ってはならないのです。平和を守ることができてはじめて未来があるのですから。」(「あとがき、平和へのお願い」より)

トランクの中の日本

スミソニアンで実現しなかった幻の写真展をここに再現

1945年、若い米軍の兵士がヒロシマ、ナガサキほか焦土の日本を記録した。非公式に私用カメラで撮った300枚のネガは帰国後、戦争のいまわしい記憶といっしょにトランクに入れ、封印された。四半世紀を越えて注目を集める“核と戦争を考える"ロングセラー写真集。

取材/小学館