TOP 特集 京都の建仁寺、鎌倉の建長寺を巡る
京都の建仁寺、鎌倉の建長寺を巡る

古寺を巡る

京都の建仁寺、鎌倉の建長寺を巡る

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第三回:京都の建仁寺から日本初の禅寺まで

上の写真:
建長寺の潮音庭(ちょうおんてい)
秋には四隅に配された紅葉がひときわ映える。

下の写真
禅寺の茶会の室中(しっちゅう)飾り

鎌倉時代初期に禅宗が伝えられると、禅は武家をはじめとする上層階級の精神のよりどころとなり、同時にその美意識は、書・水墨画・建築などに深く影響した。その初期の日本の禅宗にとって、重要な存在として知られる渡来僧に、建仁寺第11世蘭渓道隆がいる。

 

蘭渓は34歳で来日、鎌倉幕府執権北条時頼の帰依を受けて、鎌倉の建長寺の開山に迎えられている。

 

建長寺は日本で初めて禅寺を称した純粋禅の修行道場である。本格的な日本の禅は、鎌倉の建長寺から始まった。意外なようだが、当時、京都にさえ、禅宗専門の寺院はなかった。

建長寺初代住持となった道隆は、中国禅林の厳しい修行をそのまま日本に移し、弟子達にも厳しい行を課した。開山みずから認(したた)めた「法語規則(ほうごきそく)」(国宝)には、修行方法や作法が簡潔に記されている。曰(岩)く「鞭影(べんえい)を見て後に行くは、即(すなわ)ち良馬に非(あら)ず。訓辞を待って、志を発するは、実に好僧に非ず」(禅の道に進む者は、みずから課題をみつけて取り組まなければいけない)など、怠惰放縦(たいだほうしょう)を戒め、参禅弁道に専心すべきことを説いた。

 

蘭渓所用とされる袈裟は、弟子たちを厳しい規律によって指導し、質朴な禅風で知られた蘭渓の精神を今に伝える。

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文/小学館ウイークリーブック 「古寺を巡る18・44」 写真/水野 克比古 編集/「日本の本」編集部