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京都の建仁寺を巡る

古寺を巡る

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第二回:中国から禅を請来した栄西(ようさい)

上の写真:
建仁寺の法堂(はっとう) 1765年(明和2)
両端の裳階部分の花頭窓、桟唐戸の戸口などに禅宗様建築の特徴が見られる。釈迦の法を以心伝心で受け継いだ摩訶迦葉の「拈華微笑」の故事にちなみ、「拈華堂」ともよばれ、気宇壮大な威厳に満ちる。高く広い天井には、日本画家の小泉淳作画伯による双龍図が描かれている。

平安末期、当時の仏教界の退廃を嘆いた栄西禅師は、中国から禅を請来し、日本仏教界に清風を吹き込んだ。1168年(仁安3)、28歳で初めて宋に渡った。47歳に2度目の入宋を果たし、天台山万年寺に臨済宗黄龍派の虚庵懐敞を訪ねた。黄龍派は、臨済宗第7祖石霜楚円の高弟黄龍慧南を祖とする法流で、臨済2派のひとつとして隆盛していた。栄西は虚庵のもと、4年にわたって黄龍派の禅を学び、ついに虚庵の印可を受ける。伝法の証として法衣を授かり、臨済宗黄龍派の伝法を許された。

帰国した栄西は、肥前平戸(長崎県))に入り、日本で初めて禅規(禅宗の規範による生活)を行なった。わずか十数人であったが、ここに初めて「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」という禅の根本的教えの種が蒔かれた。

栄西は質素な暮らしをしながらも、貧しい人から救いを求められると、本堂の薬師如来の光背を折り取って与え、弟子に呆れられたという。

開山堂

開山栄西禅師の塔所(墓所)として、1884年(明治17)に竣工。床には甎(せん)が四半敷きで敷き詰められ、中央にたこ足の香炉が置かれる。平面が凸字形で、前方から礼堂・相の間・祠堂で構成される。礼堂は正面7間、側面3間、入母屋造り、本瓦葺き。相の間の石壇上に、木柵で結界を巡らした開山の入定塔があり、灯火が昼夜ともされている。寺のもっとも重要な霊域として、山内寺院の住職が輪番で守り、つねに厳粛な気が漂う。

 

前庭には、栄西が宋から持ち帰って植えたと伝えられる3本の菩提樹が残る。 

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文/小学館ウイークリーブック 「古寺を巡る44」 写真/水野 克比古 編集/矢野 文子、 デヴォン メニューエイ