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日本庭園の見方

日本庭園

日本庭園の見方

日本庭園の見方

第二回:水の景観

東京湾の岸にある浜離宮公園(東京都中央区)のような美しい池泉鑑賞式庭園は、賑やかな大東市から観光者に休息を与えます。

 

 日本庭園の橋には、土橋や木橋、石橋などがある。形式で分類すると、平らな平橋、中央部が膨らんだ反橋(そりばし)もしくは太鼓橋(たいこばし)、カキツバタの花畑に8枚の板を架けた八橋(やつはし)、屋根つきの亭橋(ていきょう)などがある。仏教や神道に基づいて造られた庭では、反橋と太鼓橋にはこの世からあの世へ渡るという意味がある。八橋は、日本の古典文学『伊勢物語』にその発想の源がある。

復元された橋を除けば、3枚の石を組み合わせた天龍寺庭園の石橋が最も古い作例とされている。ある僧が山深い禅院で修行していた。2人の友人が彼を訪ねてきた。飲酒談笑したあと僧は石橋が架かるところまで2人を見送ることにした。石橋を渡るとその先は俗世間なので、修行僧はその橋を渡れない。しかし話しに夢中になってうっかり橋を渡ってしまい、3人で大笑いした。3枚の石組にはこのエピソードが託されている。

 

池泉

 

 日本庭園の池を池泉(ちせん)と呼ぶ。池の周囲を散策する庭園は池泉回遊式庭園、座敷から眺める庭園は池泉鑑賞式庭園という。池泉の形は、庭の立地条件によりさまざまに変化する。どの池泉にも共通している点は、ほとんどが曲線状だということである。また半島状の出島(でじま)を築くことにより、池泉に奥行きを出す手法がよく使われた。

奈良時代から平安時代(8~12世紀)にかけては、原則的に貴族は家屋の南に池泉庭園を造った。平安時代の貴族の屋敷では、池泉には龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)(舟の先に龍と鷁という想像上の水鳥を飾った二艘一対の舟)を浮かべ、舟の上で音楽を奏でた。舟に乗って遊ぶ庭を、舟遊式(しゅうゆうしき)庭園という。鎌倉時代以降(13世紀~)、池泉の規模は小さくなり、池の周囲を回って楽しむ回遊式庭園が生まれた。江戸時代になると大名庭園を中心に、ふたたび池泉の規模が大きくなる。

 

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イラスト/蓬生雄司 文/田中昭三 編集/デヴォン・ロイス・ダンカン