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天皇メッセージ

日本の天皇

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ひとりの人間、思索と行動を兼ねそなえた知識人として、本当に尊敬できる「そのことをみんなに知ってもらいたい」

『天皇メッセージ』著者から、思いのかぎりを綴ったメッセージが届いています。
戦後史の闇を、緻密な研究と平易な語り口によって明かしてきたのがノンフィクション作家・矢部宏治氏です。

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社)『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』(講談社現代新書)・・・ベストセラーとなったこれら作品のタイトルを眺めていただければ分かる通り、矢部氏がライフワークとしてきたのが沖縄、基地、原発、憲法といったテーマになります。

そんな矢部氏が2月6日に上梓するのが今上天皇のお言葉をもとに、平成の30年間の歩みを辿ったのが本書『天皇メッセージ』。一体どうして〝天皇〟をテーマに!?そう思われた読者諸氏に、「作家の言葉」をお届けします。

私はもともと単行本の編集者なんですが、いまから8年ほど前に沖縄の米軍基地問題を調べ始め、自分でも本を書くようになりました。このたび上梓する『天皇メッセージ』の旧版にあたる『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』を書いたのは3年前のことです。

 

執筆当時、「なぜいま、天皇の本を書こうと思ったの?」とよく聞かれたことを思い出します。やっぱり始まりは沖縄なんです。沖縄に行くと、本土にいると見えない「この国の本当の形」というものがはっきり見えてくる。明仁天皇についてもそうでした。

 

本土で見えている姿とまったく違う、非常にアクティブで、はっきりものを言い、行動する姿が見えてくる。しかも「沖縄」という戦後日本最大の矛盾と真正面から向き合い、その苦闘の中から自分の思想を鍛え上げ、「象徴天皇」のあるべき姿を作りあげてきた人だということが見えてくる。これは非常に驚きでした。「ああ、自分はこの人をまったく知らなかったんだ」という驚き。そして「ここに素晴らしい知識人がいるじゃないか」という一種の感動。

いま日本には、大知識人っていないんですね。何か大きな事件が起こったときに、みんなが右とか左とか、社会的なポジション関係なく、その人の言葉に耳を傾けてみたいと思うような人がいない。「しかし、ここにいるじゃないか」と私は思いました。

 

天皇だから偉いと言ってるんじゃないんです。ひとりの人間、思索と行動を兼ねそなえた知識人として、本当に尊敬できる。「そのことをみんなに知ってもらいたい」という出版人としての本能が、この本を書いたきっかけです。

 

たとえば、天皇はこんな歌を作っています。

 

花ゆうしゃぎゆん(花を捧げます)

人【ふぃとぅ】知らぬ魂(人知れず亡くなった多くの人の魂に)

戦【いくさ】ねらぬ世【ゆ】ゆ(戦争のない世を)

肝【ちむ】に願て【にがてぃ】(心から願って)

 

これは琉歌という、沖縄の言葉で詠まれた歌です。何度読んでも、素晴らしい。この本を書こうと思うきっかけになった歌です。それは沖縄の友人からこういう話を聞いたからなんです。

 

それでいいんでしょうか? いいはずがありません。天皇は自らの政治的メッセージが禁じられるなか、それでも、ぎりぎりのところで思いを伝えようとしてきた。果たして、我々はその言葉に耳を傾けてきたのでしょうか。そうした思いに駆られ、改めて、退位についての「お考え」の表明、最後のお誕生日会見など、この3年の間に発したお言葉を収録して、出版したのが本書です。

 

「平和国家・日本」という国のあり方について、もっとも深い思索をめぐらしてこられた明仁天皇の言葉をたどりながら、みなさんにもその問題を考えていただければと思っています。

 

――矢部宏治

天皇メッセージ

込められた思い。たくされた祈り

◎『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(2015年)増補改訂版

天皇・皇后両陛下がのこされた32の言葉を美しい写真とともに紹介する国民必読の書。

「普通の日本人だった経験がないので、 何になりたいと考えたことは一度もありません。 皇室以外の道を選べると思ったことはありません」
――明仁皇太子、1987年。アメリカの報道機関からの質問に対する回答。

「石ぐらい投げられてもいい。 そうしたことに恐れず、県民のなかに入っていきたい」
――明仁皇太子、1975年。沖縄訪問を前に。

「だれもが弱い自分というものを 恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている」
――美智子皇太子妃、1980年。46歳の誕生日会見より。

取材/小学館