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禅により頭の決まりの壊し方

「私の日本の本」

禅により頭の決まりの壊し方

禅により頭の決まりの壊し方

パウロ・ザビエイ・マチャド・メニューエイ

横浜市在住 31歳

1987年サンフランシスコに生まれ、2011年NYに移り住み様々なアルバイトをする傍ら、独学で日本語を学んだ。翌年、初来日し、農場でボランティアとして働きながら、秋田から鹿児島まで3ヶ月間の旅を続けた。オレゴン州のポートランド州立大学言語学部に進学、2017年に日本文学の修士号を取得した。現在は翻訳者として横浜に在住。

数え切れないほどの修行僧たちの素足により何百年もかけて滑らかになった寺の床が、足裏に冷たく触れ、心がすっと落ち着く。障子に踊る凍えた一月の朝の光が、静止した池の水面に反射している。この瞬間、世界は静まりかえる。まるで完璧な鏡のように石で縁取られた池。ここは北鎌倉の円覚寺の庭、禅の源。静かな心の在りようを具現化したかのように、あらゆる石、水、植物の配置が考えられ、この美しい景色を生み出したのである。余計な思考であふれている心を、この池のようにすべき、と。

初めて禅を経験したのは、カルフォルニアにある「グリーン・ガルチュ・ゼン・センター」だった。そこで、座禅、仏教の思想について聞く機会があった。難解な経典を勉強するより、心を落ち着かせるのが大事なのだという教えに感動した。「宇宙の意味、起源などを説教するのではなく、今ここに生きる苦しみをいかに無くすかという方法を、誰もが理解できる問題にのみ焦点をしぼって教えてくれました。宗教としてはかなり実践的で、この世で"使える”教えだったのです」。その経験は、アジアの思想への入り口としてだけではなく、日本独自の芸術観にも出会うきっかけとなった。俳句、短歌、茶道、書道など日本文化への初めの一歩だったのだ。「振り返ると、ここから日本文化の長い道のりを歩みはじめた気がします」。おしゃべりな心を黙らせるため、鎌倉の古寺を参拝するのがパウロの日常となった。

初来日の際、ほとんどの日本人は禅についてあまり詳しくないということも知ったが、それでも、日本文化のどこを見ても禅の影響があるのは明らかだった。茶道、弓道、書道、庭造りなど——これらは日本の伝統文化のDNAになっている。「一見ではそれぞれ関係のない活動のようでも、禅の視点から見れば全部同じ道に通じている。つまり、全ての芸術活動は余計な思考を止めて心を静粛にする鍛錬なのだと気づきました」。たとえば心が昨日の晩御飯を考えることを許さず、「今」という瞬間に集中しなくてはならない。思考が暴走してしまうと、心の成長のないぼんやりとした日々を過ごすだけになってしまう。「禅の行いによって、どんな活動でも常に今という現実を繋げ、頭のなかに閉じ込めらないような生き方ができるようになるのでしょう」。

パウロの目を引いた本の一つが、小池龍之介の『頭の決まりの壊し方』だ。「子供の頃から、坊主になりたいという夢がありました。ですが、坊主になるのもそれは立派なことですけれど、それよりもっと大事なことがあるとわかりました。思考の暴走を許すと、自分に苦しみを与えてしまうだけです。座禅の本当の目的は、心を静かにさせることにほかならない。今に集中すると、いらない執着を捨てられるようになり、つまらない日常的なことが、意外にも心の癒しになるのです」。まさに、水を汲んだり、庭を掃除した、日常の作務をすることが「悟り」に近づけることなのだと、この本からパウロは教えられたという。

頭の決まりの壊し方 

「今」という瞬間を大事にし始める方法

私たち人間は自分の思考をコントロールしていると思い込んでいるが、実は、思考にあっちこっちに引きずれらている。堅い先入観、自己に対するネガティブ独り言、そしてただぼんやりして不注意をしていることは、思考から自分が支配されている例えである。小池龍之介の『頭の決まりの壊し方』で、このように思考の暴走を許すと、落ち込んだり、不安になったり、鈍くなったりしてしまうとはっきりと説明している。この本が私に強く共鳴したのは人生にやりたいことのもっとも厳しい障害が自分の暴走している思考にほかならないとわかってきたのです。「今」という瞬間を大事にし始めると、「つまらない」現実を変えて悩みなどを解決したり、集中力を育てたりして、心を静かさせられるようになります。

(パウロ・ザビエイ・マチャド・メニューエイ)


取材/「日本の本」編集部