日本庭園
日本庭園の見方
曲水・遣水 きょくすい・やりみず
曲水とは、庭の池泉に注ぐ曲かがりくねった水路をいう。その水路の汀(みぎわ)に坐り、水路 に浮かべた酒杯が自分の前にくるまでに歌を詠みその優劣を競う、それが曲水の宴 である。この遊びは古代の中国で始まった。始まった時期は不明だが、旧暦3月3日 に開催されるようになった。
日本では奈良時代に 10 回ほど開かれたという記録が残る。それ以後中世から近世にかけてもたびたび行なわれ、いまは京都市伏見の城南宮(ふしめのじょうなんぐう)や岩手県平泉(ひらずみ)の毛越寺(もうつじ)などで観光行事となっている。
平安時代の貴族の館に造られた曲水を、遣水という。敷地内に水源がないときは、外の川などから水を引き込む。『作庭記』には、遣水は東から流し、家屋 の下を通し、西南の方向に向かうのが最善と記されている。
滝 たき
滝は日本庭園のなかで数多く造られてきた。『作庭記』には、布を洗っているように ゆっくり水を落とす「布落ち」、滝水を何本にも分けて落とす「糸落ち」など10 種類 の滝の名称が記されている。自然界の滝は山の奥深くにあることが多い。日本庭園では、滝を組むことによりそこが深山幽谷であることを表現している。
平安時代の滝は、京都市の大覚寺(だいかくじ)の名古曽の(なこそ)の滝や法金剛院(ほうこんいん)の 青女(せいにょ)の滝など数例しか残されていない。鎌倉時代から室町時代にかけて禅の庭が生まれると、鯉が黄河の中流の滝を上り龍になるという「登龍門」の故事を主題とした滝が造られた。その滝を「龍門瀑(りゅうもんばく)」という。京都市の西芳寺と天龍寺に夢窓疎石作とされる龍門瀑がある。
北斎の花
視覚の魔術師・北斎が描き出す、生命の輝き
傑出したデザイン感覚。伝統的な「花鳥風月」のモティーフを、卓越した観察眼と緻密な描写力、斬新な構成で新たに生まれ変わらせた、驚異の北斎ワールド。視覚の魔術師・北斎が描き出す、清冽な生命の輝き。
イラスト/蓬生雄司 文/田中昭三 編集/デヴォン・ロイス・ダンカン